雑記帳 ブログ

雑記帳 ブログP21



画像・星野伸氏、アニメーション・カツ氏・MarinMaterial著作

談山神社と定恵

その談山神社はとうのみね (多武峰) にある。
参道をしばらく登ると飲食店や売店、それに観光ホテルなどがあったりして、
かなりの賑わいがある。

道路を隔てたその向こうに藤原氏の霊域があるのだが、
そうそう、ここは藤原鎌足をお祭りしている神社であった。

鎌足には二人の息子がいた。

一人はあの高名な不比等(太政大臣、正一位、藤原朝臣不比等 )である。
長男は定恵 (じょうえ) といって、あまり一般的に知られていないかもしれないが、

弟の不比等も偉人だったけれど、定恵はそれ以上に頭脳明晰な方で、
稀に見る秀才だったといわれている人である。

ただ、父親の鎌足は神道、定恵は仏教派だったから、どうしても問題が
起こりそうである。という訳かどうか分からないが、
定恵は遣唐使として早々に唐へ留学してしまうのである。

その定恵が十数年を閲して帰国してみると、父鎌足は既に逝去していた。

悲嘆に暮れた定恵は、弟不比等と相談して、
父鎌足の埋葬された大阪高槻の阿武山からここ多武峰に遺骨を移し、
定恵が唐から持帰った十三重塔を、お墓として祭祀したのが
談山神社のはじまりだと言われている。が、、しかし、

何故か、その直後、定恵は父の後を追うようにしてこの世を去った。

この広い霊域の神廟拝殿の前に立ち、敬虔な思いでその事を考えていると、
この謎に満ちた定恵の死が、不審というより、とてもやるせなく、

哀れに感じられてくるのは私だけだろうか、。

つづく

同人誌印刷トム出版  岡寺

先日のつづきであるが、源・平・藤・橘のたちばなの由来など、
いろいろ考えながら更に東へ向かっていくと、

左手に雪化粧をした岡寺の三重宝塔の屋根が見えてきた。

岡寺は別名竜蓋寺ともいい、

西国三十三所七番札所 にもなっている有名なお寺さんだ。

飛鳥の雪景色は無論初めてだが、岡寺の三重宝塔が銀色に光って
いるのを見るのも、やはりこれが初めてである。

私はこの岡寺には、飛鳥へ来た際はかならず立寄ることとしている。

というのも、あの、美術書や教科書などによくでてくる

重要文化財、菩薩半跏思惟像(伝如意輪観音)

が見たかったせいもあるが、

それ以上に、このお寺の住職さんが、とてもいい。

若くて美男で、爽やかな語り口調にはほれぼれする。

私など無粋な男性がそう思うのだから、若い女性などは、
きっとそう感じているに違いない。

実際、土日など、このお寺さんを訪ねる人は女性ファンが
多い。

いやいや、これは余談である。

つづく

同人誌印刷 トム出版 八甲田に雪

八甲田に雪。
このところ、夜ともなると随分寒くなってきた。
昨夜は八甲田山麓に80センチの雪が積もったそうだ。

ずっと昔、この八甲田山を縦走したことがある。

縦走と言っても初夏の尾根伝いだからなんてことはない。

途中からバスで縦走 ? したりして、真にいい加減な山歩きである。

しかし、厳寒の季節はそうはいかない。

丁度そのころ、「八甲田山死の彷徨」新田次郎 著
という小説が話題になっていたから、私はそれに触発されて現地に旅したという訳である。

山腹の途中からバス道に出てテクテク歩いていると、何やら変なものに気がついた。

道路のいたる所が切通しになっているのだが、その上のずっと高い所に、
白樺やブナといった背の高い潅木がまばらに
突っ立っている。

まっ、それはいいとしても、見ると、その樹木に何か変なものがぶら下がっているのだ。
白い板切れみたいだった。

あちこち景色を眺めながら歩いていると、バスが通りかかったのでそれに乗せてもらい、
心地よい揺れに、いつの間にかそれも忘れて、第一の目的地である蔦温泉に着いてしまった。

後で訊いてみると、あれはスキーコースの目印という事であった。

なんと、冬になるとあの深い切通しも、バス道も、うず高く積もった雪に埋め尽くされてしまうのだ。

私は厳寒の八甲田を想像しながら、あの小説、
直立したまま仮死状態で発見された青森5連隊後藤房之助伍長のことをだぶらせると、

今でも、とても、やるせなくなってくるのである。

つづく

小峠の山鳥

ちょっと間があいたが、つづきを書こう。

私は尾根伝いに熊ケ岳から小峠に向っていた。
丁度そのとき、うねうねとまがった小径の向こうから登山服の二人が
こちらへやってくる。

夫婦連れのようだった。
目前まで迫ったとき、先方から

こんにちは、、

と声がかかった。

50すぎくらいの年配の方だった。

いやぁ、こんにちは、小峠からこられました?

はい、もうちょっとですよ、

とても明るい感じのご婦人だった。

ご主人の方もにこにこしながら、

「坂鳥の朝越えまして」
ね、、、、、。

私はその言葉に、おもわず手を打ちそうになった。
岩ケ根、禁樹押しなべて登ってこられましたか?

と切り返すと、
上品そうなご主人は、

禁樹(さえぎ)はありませんでしたが、さすがに坂道と岩ケ根には
疲れましたよ。

と言いながらも、とても良い表情をしていた。

よし。先を急ごう。

私は背のリュックをゆすった。

30分も歩くと、道が二つに分かれていた。

右へ折れると大宇陀へ下りる。

まっすぐ行くと標高の観測点のある音羽山だ。

なるほど、ここが小峠らしい。
私は躊躇することなく右へ折れた。

道は一段と細くなり、しかも傾斜がはな はだ嶮しい。
おまけに所々に残雪があったりして足許が滑るのだ。

私は用心しながら一歩いっぽ岩を踏みしめながら下りていると。

おや、山鳥のようなかなり大きな茶色の鳥が、
ふと目の前に現れた。

私の下がっている小道の前方4〜5メートルくらいのところを
ヨチヨチ歩いているのだ。

時々私の方を振り返りながら、

こっち、こっち

と言っているようで、まさに私を誘導しているみたいだった。

ははーん、私はピンときた。
近くに自分の巣でもあるのだろう。

もしかすると雛がいたりして、それを警戒しているのだ。

大丈夫だよ、おじさんは何もしないから、、。

私は言い聞かせるように声をかけた。

しかし山鳥は委細かまわず尚も私を誘ってヨチヨチ歩いている。
時々止まって、またこちらを眺めている。

また歩きだす。

私はこれを見てとても感動した。涙が溢れそうだった。
本能と言わば言え。

こんな動物でも必死に我が子を守ろうとする、
その情愛の深さは、果たして、
今の我々は何か忘れ物をしてはいないだろうか。

父母に対してぞんざいな言葉を使う子。ひどいのは、暴力

を振るったりする子。

父母も子に対して人格を傷つけるようなことを平気で言う親。

どこか間違っているように思えてならない。

親想う心に勝る親心今日のおとづれ何と聞くらん 〜

吉田松陰

少し話しが横道へそれてしまったが、
次回は本筋へ戻そう。

つづく

小峠から安騎野へ (完)

小峠から小径を下りていく途中、しばらく山鳥の案内を乞うた。

ヨチヨチした歩き方がまことに滑稽で、ほんとに楽しいひと時を

過ごさせてもらった。が、

しかし山鳥君にとっては、とても気が気ではなかっただろうと察すると、
それもまた申し訳なく思う次第である。

下り坂が次第に緩くなり、道幅も少しづつ広くなって来た。

大宇陀の景色もだんだん目線の高さに近づいてくると、

谷の両側に立ち並ぶ民家の様子がはっきり見える。

この分だとかぎろひの丘まで、あと2Kくらいだろう。、、
と推測していると、先ほどまでずっと山鳥君のことばかり
頭の中にあったものだから、肝心なことをついぞ忘れていた。

軽皇子が1300年の昔、

   安みしし 吾ご大君 高照らす 日の皇子 神ながら 神むさびせすと

       太敷かす 京をおきて 隠国の 初瀬のやまは 真木立つ

      荒き山道を 岩が根 禁樹押しなべ 坂鳥の朝越えまして

と、この長歌に書かれているとおり、

多分あの大峠、熊ケ岳から経ケ塚山、小峠のラインのいずれかを

安騎野へ越されたと思うのだが、

いずれにしても、1300年もの昔に

「 坂鳥の朝越えまして 」

とあるとおり、

私も実際坂鳥に出会うことができたその驚きと興奮、、。

それを改めて思い起こし、

頭の中でいろいろ想像する幸福感に、
ここまで来た甲斐があったと、その嬉しさを味わいながら、

ひと山越えてきた疲れも忘れて、

私は、終着地点であるかぎろひの丘に急いでいた。

おわり



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