雑記帳 ブログ

雑記帳 ブログP5



画像・星野伸氏、アニメーション・カツ氏・MarinMaterial著作

人生に涙あり

手許に「水戸黄門漫遊記」という豆本がある。手帳ほどの小さい本である。
大正の終わりころに上梓されたものだ。

いわゆる趣味本の類で、マニア向けにつくられたものだが、なかなか味があっていい感じを出している。

私は子供のころから漫画本、少年雑誌などで助さん格さんに親しんできた。
悪者をこらしめ弱者を救うあの胸のすくような物語は、子供の正義感を 大いに満足させたものである。
あの黄門様は子供のころのあこがれの対象だった。

また、映画が全盛だったころは、あの東映の月形黄門さまが、これまたハマリ役で、
とても人気を博したことを、つい先日のように覚えている。

ところがずっと後になってテレビで黄門様をやりだした。
さて、これが難儀だった。

というのは、あの主題歌「人生に涙あり」の文句だが、

あとから来たのに追い越され、〜泣くのがいやならさぁ歩け〜♪

これには身を詰まされた。
後輩がいつの間にやら上役になって、同じ職場へ赴任してきたらどうする、、、、
大変だぞ、、、。

という訳で、ちょっとでも怠慢をすると、すぐあの唄が追い駆けてきそうにる。
さてさて、それからというものは、さぁ歩け、さぁ走れ、懸命に突っ走れ、、。
の連続の日々だったような気がする。

でも今では黄門さまには随分お世話になった、と感謝している。

通りゃんせ

関八州古戦録という書物に 「川越の夜戦」 という有名ないくさ話が記録されている。
場所は今の川越市。

日本歴史上、「三大夜戦」というと、
・川越の夜戦
・桶狭間の夜戦
・厳島の夜戦

があげられるが、「川越の夜戦」はその軍勢の数においてとりわけ有名である。

川越城を守備する北条綱成と挟撃する味方の北条氏康が八千。
これに対する攻撃方、山内・扇谷両上杉および古河公方の面々8万

私はそのその壮烈な戦いの跡を見たさに、懇意にしていただいている川越市の同人誌作家を訪ねた。
友人が案内してくれたのは、その川越城本丸だった。
城といっても今は平坦な地形になっていて、平城の砦のように思えるが、
当時の遺構はどのようなものだったのだろうか、大いに興味が湧いた。

なにしろ八万の大軍に重囲された頑強な城とは、とても想像できなかったからだ。
実際に現場を見学させて頂き、なるほど、
何故8万もの山内・扇谷両上杉が敗れたのか、
その陣形や北条氏康の作戦がよく理解できた。

ここまで来た甲斐があった、、と満足しながら帰り道を下っていくと。 ふと、三芳野神社という小さなお社の前に出た。

なんとまぁ、なんと、、の驚きである。
ここが有名なわらべ唄「通りゃんせ」の発祥の土地だったのである。
案内の立て札にそう書いてある。
三芳野神社は、別名「川越天神」とも呼称されており、 その歴史は明暦の頃まで遡るらしい。

この土地へ来て、色々と新しいことに接し、何んだか得をしたようで嬉しい気持ちになったのを覚えている。

プレーイング・分散と集中

秋は月がほんとに美しくなる季節だ。
俳句の季語でも「月」というのは、まことにスタンダードで、名句も多い。

お月見、名月、月夜(つくよ)、夕月、立ち待ちの月、、、、

子供のころ、秋の月夜の晩ともなると、そぞろ庭先へ縁台を出して、近所の古老の昔話をよく聞いたりしたものである。

なかでも面白かったのは、当時縁日などでよく見られたという

「のぞき」

という出し物小屋の話である。
その言葉のおかしさに、子供心ながら、、変なの?、、、。と思ったりしたが、

なんでもその「のぞき」というのは、大人の紙芝居みたいなようなもので、
板で仕切られた囲いのコーナーにいくつも双眼鏡のようなメガネが取り付けられていて、
それを客が覗けるようになっている。

その向こうに弁士が立っていて、小竹を片手に板を叩きながら、節のつけた美声で
唄うように物語るのだそうな。
で、その語りに合わせて、見ている絵が順々に変わっていくという次第。

その出し物のうち特に人気があったのは、ご存知

「金色夜叉」。

それやるんです、その爺さんが、まねして、、。

〜♪ 松より月の影さして〜♪えぇ〜 貫一 〜 お宮の物語りぃ〜♪

その身振り手振りが可笑しいったらありゃしない、、。
もう腹かかえて笑い転げたのを、ついぞこの間のように覚えている。

その後、私はノスタルジーに駆られて、ぜひ一度本物を見たいと切望しながら、
あちこち縁日やイペントなどに出かけたときなど、それとなく注意しているのだが、

残念なことに、すでに時代が閲して、未だにお目にかかれないでいる。

西鶴

秋はお月さまがとてもキレイに見える季節だ。
御伽話などの世界では、月はかならずといっていいほど出てくる。

それだけ神秘的であり、神々しき物の対象としてイメージされていたのだろうか。
子供にとってお月様というのは、昔むかしの話の中では必需品だったのである。

ところが戦後、ごぞんじ、小松崎 茂 古賀亜十夫といった有名漫画家等が描いた宇宙ステーションなどの模様が、少年雑誌のグラアなどに載った。

月はすでに科学の射程に入っていたのである。
当時の子供たちもきっと驚いたことだろう。
そのお月様を辞世の句として詠んだ人がある。

浮世の月 見過ごしにけり 末二年。--------西鶴
(人生五十年の浮世で、名月を二年も多く見させてもらったのだから幸せだった。)

という意味だろうか。



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